毎年頼んでくれているお客さん。
いつも秋に植木の剪定なんですが、今回は来客があるというので少し早めに。
今年は暑かったので、植木も伸びるのが早い、早い。
少し離れて見ると、そうでもない、整ったお庭に見えますが、ちかづくとけっこう伸びています。
松の剪定
松はこんな感じで伸びています。
ぼさぼさですね。
松の木は、ほんとうは春と秋にやるといいんです。
春に芽がきといって、芽がびょーんと伸びてくるやつを切ったり、むしったり。
秋は枝おろしで、枝をはらって整える。
けれど、年2回も頼むのは大変なので、こちらは1回です。
枝をおろし、芽がきをします。
徹底的にこだわると、このくらいの松の木でも半日はかかりますから、それなりに整えました。
百日紅(さるすべり)の剪定
これは百日紅。
さるすべりと読みます。
幹がつるつるで、サルもすべることからついた名前です。
太めの幹のところから、ばっさり切りますが、1メートルか2メートルくらいは伸びます。
この伸びた先に花をつけます。
百日紅は夏に花をつけます。
そして、結構長く咲いています。
夏に咲く花は少ないので、貴重です。
幹の元のところから、ばちばち切って、坊主にします。
百日紅は花が終わった11月頃が剪定の時期です。
槇の木(まき)の剪定
槇もこんなに伸びています。
槇は松の剪定とやり方が似ています。
バリカンでばっさりすれば早いですが、それだと切り口が枯れた色になっちゃうので、ハサミで丁寧に刈り込みます。
さっぱりしました。
剪定いろいろ
柑橘系の植木。
これは夏みかん。
これはレモン。
それからつつじ。
しだれ梅。
一通り、1日で終えました。
面影
ここのお客さんは、私の母親と年が同じです。
そして、なんとなく似ているんです。
顔の形というより、仕草というか表情というか、面影がある。
だから、いつも不思議な感じになります。
もう10数年のおつきあいですから、気心が知れていて、一服でお茶を飲むときも、昼に弁当を食べる時もリビングにあげていただきます。
ちゃぶ台にお茶を置いてくれる時や、立ち上がるときのふとした表情が、母と重なります。
私はいろいろあって早くに家をでていて、家族の縁がうすいので、しみじみとした気持ちになります。
「忙しいのか」と、「からだは大丈夫か」と聞いてくれます。、
「腰が痛い」とか、「目が遠くなってね」などと話してくれます。
耳が少し遠くなって、大きな声で話すようにします。
うんうんとうなづいて、笑って、お茶を飲んで。
母とこういう時間が持てたら、きっとこんな感じなのかなと思ったりします。
私は若い頃は、悩んだり、生き方を模索してアジアを放浪したり、いろいろな仕事をしました。
孤独や悔しさや負けてたまるかという思いで生きていました。
けれど今は、今の瞬間を大切に、生きていることに気づいているように生きています。
愛というと恥ずかしいですが、そういうものを大事に暮らしています。
それは、周囲の他人が、本当に多くの方に助けていただいたおかげです。
優しく、温かく、接してもらいました。
そういうことで、澱のように固まっていたものが少しずつとけて、癒されていきました。
この方やいろいろなお客さんのおかげで、思いやりにたくさん触れることができました。
愛は広がるものだと思います。
それが宇宙の本質だし、大いなるなにかが求めているものだと感じます。
それは体験し、学び、吸収され、共鳴して振動し、延長していくのだと思います。
かっこうよすぎたかもしれないけれど、人と人としてお仕事をしていく中で、ほんとうにいろいろを学ばせていただいています。
感謝。。。